KIMONO-JOYA 作家

アルフォンソ・アルバセテ

(マラガ 1950)

1970年代のスペインを代表する具象絵画作家として知られている。彼の作品の色彩には、アメリカ抽象画アートの影響が見られる。マドリッドの大学の建築学科在学中、バレンシアのシルクロ・デ・べジャス・アルテスで絵画の教師を務めた。アルフォンソ・アルバセテはスペイン国内で数多くの展覧会を行う:クエンカ、マドリッド、ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア、サラゴサ、バルセロナ、セビージャ、サンタンデール、ムルシア、ビルバオ、バジャドリッド、ビクトリアなど。海外では、ワシントン、ブリュッセル、スーリッチ、日本、チリ、ドイツ、ニューヨーク。彼の作品は、スペイン・ソフィア王妃芸術センター、クエンカ抽象画美術館、テレフォニカ財団、マドリッド市美術館、アエナ財団やビルバオ市美術館など、スペインの著名な美術館やコレクションに所蔵されている。2023年にはマドリッド、サン フェルナンド芸術アカデミーのメンバーと任命される。

アルフレド・アルカイン

(マドリッド・ 1936)

1953年 から1958 年までサンフェルナンド美術学校に在学する。その後、グラフィックアート学校で銅版画、リトグラフィーを学ぶ。1961 年から1964 年まで、国立映画学校で映画の舞台美術を学び、その後、バシリオ・マルティン・パティニョ監督映画、”ベルタへの九つの手紙” ”戦争の後のための歌”に貢献している。1964 年フアン・マーチ財団の奨学生として、イタリアを訪ね、歴史的なアーティスト達の作品に触れる。1962年マドリッドで初めての個展を開き、それ以降ビルバオ、サンタンデール、サラゴサなど多くの地方で個展を開く。1970年マドリッドのエガン画廊で初めての個展を開き、その後40年同画廊で個展を行うこととなる。 その他、エスタンパ画廊、ギンコ画廊、エルビラ・ゴンザレス画廊、ティエンポ・モデルノ画廊、フェルナンド・ブラソ画廊などでも個展を行う。2012年、ビルバオのレカルデ展示室で回顧展を行う。彼の作品は、マドリッド・ソフィア王妃文化センター、ビルバオ市美術館、ビクトリア・アウリティウム、マドリッド現代美術館、マドリッド・シルクロ・デ・ベージャス・アルテスなどの公共機関などでも展示されている。2003年スペイン国芸術賞を受賞する。2010年カサ・デ・モネダのフランシスコ・プリエト賞を受賞する。

安藤光浩

(香川県 1962)

1992年よりスペイン在住の日本人アーティスト。多摩美術大学を卒業後、エスロベニア・リュブリャーナ美術大学で絵画科と修復科を修了する。在学中、ドイツ、オーストリア、イギリス、スペインなどで、複数のグループ展に参加する。 1991年エディンブルゴ大学の奨学生として、スコットランド・エディンブルゴ・フェスティバル 最優秀展覧会賞を受賞する。1992年セビージャ国際博覧会の日本館介入のため、スペインへの移住を決断する。1984 年より東京現代美術館で始めての展覧会への参加、スペインではバレンシアのIVAM美術館、マドリッド・シルクロ・デ・ベージャス・アルテスなどでも展示された。彼の作品はリブリャーナ近代美術館、マドリッド・国立図書館、バルデペニャ市美術館、マドリッド・セアト美術館、国立通信大学財団コレクション、BMW財団コレクション、Wellington財団コレクションなどに所蔵されている。その他、2001年アルカサル・デ・サン・ファン第6回国際絵画コンクール最優秀賞、2008年、BMW絵画賞、2021年アリカンテアート・写真コンクール最優秀賞、2013年フォクス・アベンゴラ絵画賞、2014年マドリッド・サロン・デ・オトニョ賞などをはじめ、数々の国際、国内コンクールで多数の賞を受賞している。2013年トレド芸術科学アカデミーのメンバーとして任命された。

パブロ・アルメスト

(シャフハウゼン・スイス1970)

パブロ・アルメストの作品は、三次元における空間構成とLED、ネオン、光ファイバー、カソード、木、塗装済金属などの様々な素材研究を重ね、幾何学的抽象、実験的な現代彫刻として位置付けられている。 2011年から2022年までマルボロー画廊の作家として、Art GeneveやARCOなどの国際アートフェアーに参加、また、その他数多くの個展やグループ展を開催している。最新のテクノロジーを使ったインスタレーションやムルチメディアの作品 Secuencias 24 ”連続24”などは、2008年ヒホン・ラボラル・アートセンター、2009年ドイツ・カールスルーエのZKM美術館で展示された。ブリュッセルとフランスのアートセンターなどでは“晩餐会、結び目、網”展 で彼の作品が展示された。また2004年プント・デ・エンクエントロ(エスパシオ・アストラガル)、2005年 ルス・インテリオル(エスパシオ・リキド画廊)、2009年 雨と内(バルホラ美術館)など、数多くの賞を獲得している。カンダスのカバニュ(カレニョ、アストゥリア地方)、王立コバドンガ公園の公園のためのパソ・ア・パソ(カンガス・デ・オニス、アストゥリア地方)、2005年FIB ARTの”紙の夢” (ベニカシン・カステヨン)などのプブリック・アートなども手掛ける。 彼の作品は、数多くの私・公立コレクション:アストゥリア地方自治体, カッハ・スール地方銀行,アストゥリア地方自治体王立文化庁 , エル・コルテ・イングレス, ヒホン港湾理事会, オロル・ビジュワル&オタツ酒造など、に所蔵されている。

アルベルト・バニュエロス

(ブルゴス,  1949)

マドリッド・コンプルテンセ総合大学で政治学、社会学を修了した後、独学で絵画・彫刻を学ぶ。 イタリア・カララ採石場で彫刻の技術を学ぶ。スペイン国内外で50回以上の個展を開催し、数々の国際アートフェアー; ARCO, Art Miami, 第12回ハバナ・ビエンナーレ, Art Ginebra, 第3回ウスアイア・パタゴニア・ビエンナーレ(アルゼンチン), セビジャ国際博覧会92、Lisboa-98 (リスボン), ブラジル巡回展, 2008年北京オリンピックや数多くの国際シンポジュームに参加している。彼の石のプブリック・アート作品は、マドリッド(コンプルテンセ総合大学)、ウエスカ(エチョ渓谷)、サンタンデール、ブルゴス、フエルテベントゥーラ(カナリア諸島) 、レオン、トレド、バレンシア、スペイン国外では、イタリア、カナダ、中国、イスラエル、メキシコなどに展示されている。彼の作品は、バレンシアのIVAM美術館、マドリッド私立美術館、ブルゴス人類進化博物館、RENFEコレクション、その他多くのプライベートコレクションに所蔵されている。

ミゲル・アンヘル・カンパノ

(マドリッド, 1948-2018)

マドリッドとバレンシアの建築大学と美術大学に在学する。1960年代後半にパリに移り住む。1979年のフアナ・モルド画廊・マドリッドや 1980年のマドリッド市立美術館での”Madrid DF”展などへの若手作家としての参加経験は、彼がその後訪れる新しい時代の若手作家の代表的人物であることを語っている。1996年スペイン芸術賞 受賞。カンパノは1969年から連続してスペイン国内外で個展やグループ展を行っている。最終的に健康を損ねたことで、晩年はゆったりとしたリズムで展覧会を行いながら、著名な美術団体や家老などとの交流を楽しんだ。彼の作品は、スペイン抽象美術館(クエンカ)、英国博物館(ロンドン)、ビルバオ美術館、マドリッド・コンプルてんせ総合大学、MNCRS(マドリッド)、スペイン銀行(マドリッド)、ポンピドゥー文化センター(パリ)、フアン・マーチ財団(マドリッド)、カッハ・デ・ペンシオネス財団(バルセロナ)、アラバ美術館(ビトリア)、ナバラ美術館、マドリッド市立美術館、カイシャ・ガリシア・コレクション(コルニャ)などの国際的な著名な文化施設に所蔵されている。

ディエゴ・カノガル

(マドリッド, 1966)

ディエゴ・カノガル、彫刻家、版画家。1992年マドリッド・コンプルテンセ総合大学を卒業する。20回以上の個展を開催し、120回以上の国内外のグループ展に参加している。2008年よりMínimo Tamaño Grande協会の会長を務め、マドリッド州の巡回展覧会などの企画を手掛けている。

ラファエル・カノガル

(トレド,1935)

スペイン北部の街サンセバスチャンから1944年家族と共にマドリッドに移住する。スペインの画家・ダニエル・バスケスに師事する。ピカソやブラックのキュービズムやジュアン・ミロのシューレアリズムの影響を受け、その後、純抽象画派へと向かっていった。 1957年にマヌエル・ミジャレス、アントニオ・サウラ、ルイス・フェイト、マヌエル・リベラ、パブロ・セラノ、フアナ・フランセス、アントニオ・スアレスなどのメンバーで形成された歴史的アーティストグループ、エル・パソ に加わる。グループ・エル・パソは、すぐさまスペインにおける当時の美術界の大きな変動力となる重要なな団体となっていった。 1960年ニューヨーク近代美術館のスペイン現代絵画・彫刻作品展 に参加する。1960年初頭、純抽象画派から離れ、現実に近づこうとする。彼の使う色合いが変化していった。ポリエステル、アクリル、木材、光ファイバーなどの素材を使うようになる。 彼の作品からは今まで描かれてきたモチーフ達が消えさり、作品の中心は素材の塊となり、 彼の芸術的なアイデンティティーとなっていった。 1972年サン・パウロビエンナーレ賞、1983年スペイン芸術賞を受賞する。 1983年から1986年まで、マドリッド・シルクロ・デ・べジャス・アルテス文化センターの理事会のメンバーを務め、1981年から1982年、1983年から1984年までスペイン文化庁の顧問委員、1984年から1987年スペイン国家遺産管理委員会の顧問などを務め、1998年にサン・フェルナンド美術アカデミーのメンバーと任命される。

マルタ・カルデナス

1963年から1968年マドリッド・サン・フェルナンド芸術アカデミーで学ぶ。その後、1969年フランス政府奨学生としてパリに留学する。インドを巡り彼女の作品制作へ大きな影響となった。1970年サン・セバスティアンの画廊で初めての個展を開く。4年後、ドゥランゴ(ビスカヤ)でも個展を開く。1980年フアン・マーチ財団の奨学生となり、その頃にはマドリッドでも個展を開いた。1980年代には彼女の名前はミラン、パリ、リスボンなどの画廊や博覧会などで知られるようになる。 1986年、1991年スペイン国際アートフェアー・ARCOに出展する。彼女の作品はスペイン・ソフィア王妃文化センター、ビルバオ美術館、マドリッド・モンクロア宮殿、スペイン国立図書館、フアン・マーチ財団、BBK銀行コレクション(ビルバオ)、カイシャ銀行財団、など多くの文化施設に所蔵されている。

チェマ・コボ

(タリファ、カディス 1952-2023)

マドリッド・アウトノマ大学で哲学科に在学しマドリッド・ニュー具象派の中心人物となる。  1975年マドリッドのブアデス画廊で初めての個展を開く。1979年スペイン文化庁奨学金 1980年 フアン・マーチ財団奨学生   を受ける。 1981-82年 P.S.1, N.Yの奨学金を受け招待作家となる。第16回サン・パウロ・ビエンナーレやマドリッド現代美術館で行われたサロン・デ・ロス16に出展する。1982年 Carnegie International de Pittsburgh に参加、翌年ニューヨークのグッゲンハイム美術館で行われた”現代のヨーロッパ絵画” などの複数の展覧会に招待される。この頃、初めて、シカゴのソリャ・リエベルマン画廊で彼の作品が紹介された。 1987年のニューヨーク・メトロポリタン美術館所属のメッツァナイン画廊 、ニューヨーク・チャールズ・コウウェル画廊などでの個展などをはじめとし、1980年代には、シアトル、ボストン、ミラン、ローマ、マドリッド、ベルナ、名古屋などで個展が開催された。1990年代も、アメリカ合衆国の画廊で発表を行う。シカゴのノーザンウェスティン大学、シカゴ美術学校、ニューヨーク・アートスクールの招待教授となる。1998年セビージャのアンダルシア現代アートセンター、マドリッドのシルクロ・デ・ベージャス・アルテ文化センターで行われた”羅針盤の迷路”展などをはじめ、ヨーロッパ各地で数々の展覧会を開いた。”サルタ・ラ・ビスタ”展は彼を代表する展覧会の一つである。この頃には、マドリッドのアントニオ・マチョン画廊でも定期的に個展を開催していた。2009年 マドリッド・フランシスコ・デ・ゴヤ賞を受賞、マラガ現代美術館で”アウト・オブ・フレーム”展を開催する。バルセロナ・ミゲル・マルコス画廊、サンタンデールのフアン・シリオ画廊でも発表をする。2018年アリアンス・フランセサの為に”ラ・ベルトゥ・トゥア”展をマラガで開催する。     

フェリックス・デ・ラ・コンチャ

(レオン, 1962)

地方画家、または ”ロコ ペインター”。 フェリクス・デ・ラ・コンチャは肖像画、風景画を、モチーフを前に絵を描く。 高校卒業後、16歳でマドリッドの美術大学に入学する。面白い事に、彼の専門である絵画と風景画、この両科目が取得できず卒業はしていない。1985年 第一回スペイン若手作家展に入選、そして、マドリッドのシルクロ デ べジャス アルテス文化会館で展示、パブリック賞を受賞する。1989年スペイン・アカデミー の奨学生としてローマに滞在す流、その後1995年までイタリアに在住する。同年、アメリカに制作活動の拠点を移す。彼の作品: One A Day: カテドラルの365日の風景 (1999)では、1年間、毎日いろいろな視点から描いた複数の風景画を制作する。 また Fallingwater en Perspectiva プロジェクト(2005-2006) では el Western Pennsylvania Conservancyの招待で2年間にわたりあのペンシルバアニアの代表建築に触れながら絵画制作を行こなった。肖像画シリーズではさまざまな人物を絵描いた。 (一般人, 文化人, オロカウストの犠牲者…), 絵画とその肖像画の制作中に交わされたモデルとの会話を収めたビデオとが組み合わされた作品である。彼の作品はスペイン全土で発表され、アメリカ合衆国ではel Columbus Museum of Art (1998), el Carnegie Museum of Art (1999), el State Museum of Pennsylvannia (2008) y el Hood Museum of Art (2009)などの公共の文化施設で定期的に発表されている。

ベレン フランコ

マドリッド

個展 : 2014 シボネイ画廊 (サンタンデール).  2012 フェリックス ゴメス画廊(セビジャ)   2009 テルセル エスパシオ画廊 (マドリッド)  2007-2009 グループk.b.zonas で南米CCES 巡回展  2006 アートフェアー“FLECHA” 2005 フアン アミアノ画廊(パンプロナ) 2004 ノニ ラザガと共にグループ k.b.zonas 結成, アンパロ ガミル画廊(マドリッド)  2001 カンポマネス ヌエべ画廊(マドリッド) 2000 ディアログ画廊 (パリ) / シルクロ デ べジャス アルテス文化会館 (マドリッド) 1997 ユネスコ (パリ), 精神分析と攻撃性についての国際会議 ディアログ画廊(パリ), ボレス&マヨ画廊(カセレス) 1996 バルセナ画廊 (マドリッド) 1992,1994 エル カバジョ デ トロヤ画廊(マドリッド) 1990,1993 コルメラ画廊(マドリッド) 1983 国際報道クラブ グループ展 :  2016 “パッション”展 – ラス シレナス センター・セビージャ. 2015“ラコンテ” 展 ラ インプレンタ・セビージャ, “歌の時間”展 キュレイター・ディス ベルリン, マイ ネイム イズ ロリタ 画廊(マドリッド)、2014 “ロセブッド” 展 キュレイター・マリア エスクリバノ、ブエラ プルマスペース (マドリッド)、“ラ ボルサ オ ラ ビダ”展, キュレイター・パブロ シセット. カサ デ ベラスケス(マドリッド) ゲレロ財団 (グラナダ). 2010,2011,2012,2013 サンタンデール産業大学 (コロンビア) “無国境” 郵便アクションプロジェクト“ポスト” MAV,  CAAC,MNCARS,MPH 図書館(バジャドリッド・パティオ エレリアノ美術館), マグダレナ大学(コロンビア) 食の協定/ キュレイター・ギルマ カレイニョ   2011 “ラビリンス” ムルナウ フェリクス ゴメス画廊( セビージャ) / “Tintínの25景” ホセ ラモン オルテガ画廊, マドリッド/ ゲルニカの破壊 マニラ・スペイン大使館文化センター(フィリピナ) , 絵の追憶, テルセル エスパシオ画廊 (マドリッド) 2010 “反射” グループ k.b.zonas. キュレイター・ M アントニア デ カストロ. (アクッション“ミュージアムの日” )MAV   2008-2009 “Suite sweet love, シュール・ロマンティック運動の始まり” グループ k.b.zonas (巡回展CCES por 中央アメリカ, カリブ y コロンビア)   2008 エステバン ビセンテ現代美術館 (セゴビア) “スペイン・アートのサーカス” / シボネイ画廊(サンタンデール) “空想の風景”   2007 アンパロ ガミル画廊 (マドリッド) “庭”   2006 バル デ ペニャアートコンクール展(シウダッド レアル)/ 2005 アートフェアー- ナバス・アート (ナバス デル マルケス, アビラ)  2004 エスタンパ画廊 (マドリッド) “サーカス” / ムエリェ27 画廊(マドリッド) “ムエリェ”展 /  巡回展インスティテゥート・セルバンテス チュニジア とアルジェリア “一つずつ”展 2003 “一つずつ”展, 巡回展インスティテゥート・セルバンテス ミューニッチ, アテナス, テトゥアン, ローマ, イスタンブール, ブカレスト、リスボア 2002 ユートピア パークウェイ画廊(マドリッド) “作家-肖像画”展  2001 ギジェルモ デ オスマ画廊(マドリッド) “花, 果物そして夢 ”展/ “姿の歌”展 巡回展インスティテゥート・セルバンテス ブリュっセル, パリ, ローマ、ブエノスアイレス  2000 “C.D”展 //シルクロ デ  BBAA “アートの危機”展    1999 サンフェルナンド王立芸術アカデミー(マドリッド)  “姿の歌”展 / フェリックス ゴメス画廊 (セビージャ) “エロスの後”展  1998 ブアデス画廊(マドリッド) “第二回レフラクタリオ・サロン”展 / ディアログ画廊(パリ) 1995 ペレ ラ チャイーズのアーティスト (パリ) 1994 スペイン公園文化センター ( ロサリオ, アルゼンチン) / セイケル画廊 (マドリッド) 1993 ナバラ画廊-ナバラ・フェスティバル  1992  エル カバジョ デ トロヤ画廊(マドリッド) / モハカル工房(アルメリア) 1988 エスタンパ画廊(マドリッド)1978 マドリッド・コンプルテンセ総合大学

カルロス フランコ

(マドリッド,1951)

独学アーティスト。70年代の初めギジェルモ ペレス ビジャルタ、カルロス アルコレアと共にマドリッド・ニュー具象派の流れの作品を展開する。その後、グループから離れ、マジック、神話、精神分析などに興味を示し、神秘的なテーマで劇場装飾や、本の挿絵を手掛ける。 この時代の作品はサバド・グラフィコのイラストや ルイス・ガルシアとガブリエル・モレノのフェイク・ダダの素晴らしいドローイングや版画 、ラモン・マヤルタのノマデオの本、Ediciones Turnerのエネイダなどが代表的である。 その後すぐ、マドリッドのマヨール広場のカサ デ パナデリアの壁画を担当する。 彼の描く神話の中の神々、ミューズ、女神たちが、シベーレスの結婚式のためにバルコニーから乗り出す姿は昔からマドリッドの市民に親しまれてきたこの広場に、新しい住人として溶け込んでいる。パン屋の坊主、プロセルフィナ、侮辱に耐えるカリアティダが若きバッカス, 仙人、サトゥルノと闘牛士、トリトンシージョとラグニージャ;富の女神が広場を見守り、マドリッドの守護神・イシドロ聖者が畑に種をまく。 彼独特の芸術的視点と素晴らしい表現能力で神話の中の魔術を封印する。国外内で活躍し、2000年よりスペイン国際アートフェアー・ARCOに出店、マドリッド・マルボロ画廊でも展覧会を開催した。近年では中国、台湾などで作品を発表している。

イグナシオ ゴメス デ リアニョ

(マドリッド 1946)

作家、詩人、随筆家、哲学者、翻訳家。彼は現代スペイン語圏文化で重要な存在であり、サルバドール ダリとの友人関係も広く知られている。マドリッド・コンプルテンセ総合大学・哲学科を卒業。マドリッド・アウトノマ工業大学・建築科の美学と構成学(1962-1972)、マドリッド・コンプルテンセ総合大学・社会学科で哲学、方法論で教壇に立つ(1975-1997)。大阪外語大学の招待教授  (1984-1985)。北京外国語大学 (1989-1990)。彼は哲学、社会学、文学的多分野において作品を手掛けている。彼の代表的な作品は 東洋と西洋の関係に着手した作品、 知恵の輪I,IIがあげられる。その他 カルロス3世・光の王国 (2015)、ダリの道 (日記1978-1989) (2004)、はじめの福音の図(2003)、カバジェ クルス、モニカとベレス デ セア、アブラハムと共同著作: ヒンズー教と仏教(1999)、ポエム(1989)、言葉と恐怖(1987)、アタナシウス キルチェル: エクスタシーの経路または世界的知識のイメージ(1985)、随筆・空想の言語。時間、イメージそして記憶についての (1983)、自分の時間。芸術と文学 (1983)、ナウタとエステラ(1980)、ジョルダノ ブルノ: 世界、魔術、記憶(1973)、実験的ポエマ(1968) など。

マリア  ゴメス

(サラマンカ、1953)

サラマンカの美術専門学校を終了する。1973年バルセロナ・サン ホルヘ美術大学入学、2年後マドリッド・サンフェルナンド美術学校へ入学する。1977年テバス画廊とカサ デ ベラスケスで個展を開く。80年代多くのグループ展に参加することで名を広めていく。1980年奨学生としてパリへ渡り、ブルノ ミュレーに版画で師事する。 ギリシャ、エジプト、イタリアなどを旅する。1983、1985、1987年にモンテネグロ画廊で個展を開く。1991年、スペインのアカデミーの奨学生としてローマに滞在する。 彼女の作品は、古典的な雰囲気で創造の中の人物や風景をグレー、緑、青の微妙な色のトーン表現している。国内外で数多くの展覧会を開く。

マリ プリ エレロ

(ビルバオ、 1942​)                                       スペイン女流画家・版画家。バスク地方で現役芸術家で最も著名な人物である。 彼女は初期から、スペインの歴史的巨匠ゴヤなどの影響を受けながら具象絵画 を描いている、ホルヘ オテイサ、エドゥアル チジダ、アグスティン イバロラ、ネストル バステレトゥチェアなどに代表される幾何学的抽象芸術で知られるバスク美術とは距離を置いた特別な存在である。淡い色の緩やかな彼女の描く物はカルメン エフォンに類似する、へレラの場合は人物がほとんどである。そして、丸顔で古典からかけ離れた彼女の描く人物像には彼女特有のユーモアがあり、神秘的リアリズムでありいろいろな物語を誘発する。 バスク地方時地区の芸術アカデミーのメンバーとして任命させる。

ハヌス

(クファ、イラク、1958)

画家、版画家、教師。現在ではスペイン国籍である。1974から

1979年までバクダッド美術学校で学ぶ。1985年にマドリッド・コンプルテンセ美術大学を修了。 1991 年、同大学で博士号を取得。1977年、1979年、1981年バクダット国立近代美術館のグループ展に参加、1978年芸術協会で個展を開く。1979年から1981 年までイラク芸術家会、イラク現代美術協会のメンバーとなる。バクダッドで学んだ後、ローマ、ブダペスト、トルコを旅行する。最終的に1981年にマドリッドに移る。1985年から1986 年までカシミロ サインツで優秀賞、マドリッドのカタルーニャサークルで買い上げ賞、ビジャベルデ賞、プラセンシア財団の第2当賞などを受賞、その他にも、ビージャ デ パーラ、フォード・スペイン、ロン バカルディー、エル アダハ デ アビラ、バル デ ペニャ、で賞を受賞。ゴヤ絵画展、BMW展に出展する。

ハル

彼の好奇心がアートの世界への道を切り開いていった。1990年 バレンシアの EAAOO ダンス学院 ホアン バタ カバニリェスのコンテンポラリーダンスに入学する。アーティストとしてそして人としてダンスは彼自身の成長に大きな影響を及し、その ダンスを通して、最終的に現代美術と出会い、全身全霊で自由な芸術表現をし始める。表現方法を追求する中で自分だけの表現を見つけていった。ある物であった物質は その後、彼の手を通し変化し、ニューテクノロジー、オブジェの中へと消していく、そして彼独特のアート作品となる。

井村一葉

(大阪 1980)

2000年 上野学園大学 音楽科フリート専攻を卒業する。16歳で写真を始める。17歳で 自分の写真作品と文章をは評するために、雑誌Paper をカラーコピーを使って出版する。2002年 “寿限無-cloning“ 展 Tomio Koyama Gallery、東京に参加、 2004年 “Super Multiple Art Project” Contemporary Art Factory, Tokinowasuremono Gallery 、東京で個展を行う。他、日本国内で数々のグループ展、個展を行なっている。

ホセ ホベン

(サビニャン サラゴザ 1959)

マドリッドの美術大学で学んだ後、彼の作品は、抽象的な作品に代表される。彼の作品には十字、円などの記号が頻繁に登場するようになる。 1982 年以来、彼の作品は国内で知名度を高め、1982 年にはマドリードのシルクロ デ べジャス アルテ協会からフランシスコ アルカンタラ賞、1987 年にはパンプローナ・ビエンナーレから絵画賞を受賞する。 彼は、スペイン内外でのグループ展や個展に参加しており、1991年には作品へのインスピレーションを与えてくれる国、日本で個展を開催する。

アルミンダ ラフエンテ

(レガスピ ギプスクア 1962)

1985年 バスク美術大学を卒業。1988 年スロベニア共和国リブリャーナ芸術アカデミーで大学院に在学する。2010年  カスティージャ ラマンチャ大学で高等教育学位を取得する。2008年より多くの展覧会に参加する。    最新の展覧会:2016年 第24回UNED現代アートコンクール賞受賞。 “カッハ デ エクストラマドゥラ国際現代アート賞展.  第23回グレゴリオ プリエト ドローイングコンクール展、モンクロア文化センター。クエンカ美術館、展示室。 2015年  第76回バルデペニャ国際現代アート展。 “グレコの胸に手を置く騎士展” トロ画廊、グラナダ。 “スペイン現代絵画展”、ポラ デ シエロ。第23回ドローイング展、グレゴリオ プリエト財団美術館。“オープン・ワーク2015”, プラセンシア・ラス クララス文化センター。 2014年 第75回バルデペニャ国際現代アート展。 個展“織物-文字” マティアス モレノ展示室、トレド。第XLIV回アルカラ市絵画賞展、アルカラ デ エナーレス会議会館。 第24回UNED現代アートコンクール展、クエンカCCM展示室。 第37回トレド、モラ国内絵画コンクール展。  “グレコの胸に手を置く騎士展”,トルモ美術館、トレド。ハエン県立展示室。2013年 シウダ レアル県長賞, 第17回国際絵画コンクールUNED現代アートコンクール, アルカサル デ サン フアン。名誉賞、第XLIV回アルカラ市絵画コンクール、アルカラ デ エナレス。2012年 買い上げ賞、アリカンテ市2012現代アート、写真コンクール。    公共コレクション :
–国立図書館、アリカンテ市、シウダ レアル市、アルカサル デ サン ファン私立美術館、トルモ美術館・トレド、マドリッドUNEDコレクション。

エバ ロッツ

エバ ロッツはオーストリア・ウィーンに産めれる、哲学、現代アートを学び映画・映像監督科を卒業する。70年代の終わりにスペインに移り住み、 1973年ごろから作品展示活動を始める。表現や加工作業をさけた芸術概念からスタートし、多角的情報により一つの統一された概念をテーマとした空間の創造、又は、作家曰く、“芸術は存える”という言葉で表現されるように、新しいコンセプトへと発展していった。素材と言語の相互作用に注目し、多角的視線を使った作品が彼女独特の作風である。              代表的な展覧会: Metal /金属(マドリッド、バルデシジャ財団1983), Noche, decían/夜 語られる (バルセロナ、モンタカ展示室1987), Alfombra escrita/書かれた絨毯 (アムステルダム、バルバラ ファルベル画廊1990), Eva Lootz, (ニューヨーク、ダビッド ベッツエル画廊1990), Arenas Giróvagas /放浪砂(タラゴナ、ティングラド ドス1991), Escultura y dibujos/彫刻とドローイング, (マドリッド、ファナ デ アイスプル画廊1992) A Farewell to Isaac Newton (ロンドン、サウスロンドン画廊1994), La madre se agita/揺れ動く母(バレンシア、アルムディ1997), Eva Lootz  (スイス、ボラス コンスト美術館 1997), (スイス、ランズ コンスタル1998), (デンマーク、オデンセ,ブランツ クラエデファブリック1998, ) Ich und Du (ケルン、アドゥリアナ シュミッツ画廊2000), Derivas/漂流 (オポルト、クアデゥラド アスル画廊2001), Berggasse 19 (マドリッド、エスティアルテ画廊2001),  La lengua de los pájaros/鳥の舌 (マドリッド、パラシオ デ クリスタル、ソフィア王妃現代アートセンター2002), Sedimentacions/沈澱(サ ノストラ財団、パルマ、イビサ、マオン2004), Paisajes hidráulicos /油圧風景(サンティアゴ デ  コンポステラ、トゥリンタ画廊2007), Mundo, Seco, Benamor, Amarga (ムルシア、ベロニカ展示室2009), Hidrotopías – la escritura del agua.(バルセロナ、スニョル財団2009), Viajes de Agua./水の旅 (マドリッド、カサ エンセンディダ2009), Redes de agua /水の網(ムルシア、アートヌエヴェ画廊2010)  A la izquierda del padre/父の左側 (マドリッド、カサ デ モネダ財団 2010) Pensar dibujando/ Drawing as Thought(スウェーデン、キッセルナス美術館2011), Dis- cursos de agua (ブルゴスCAB 2012), El agua no haciendo…(サンタンデール、パラセテ エンバルカデラ2015) La canción de la tierra/土の歌 (Tマドリッド、タバカレラ2016), Cut Through the Fog(サンティアゴ デ コンポステラCGAC 2016)     その他、92年のカルトゥハ島の NO – MA -DE – JA – DO ,1996年スウェーデン、ボウスランの LA MANO DE LINNEO, 2002年デンマークシルクボルグのENDLESS FLOW, el PROYECTO RECOLETOS (マドリッド、レコレト通りのクリスマスイルミネーション2004)などのパブリックアート、さらに 2008年Expo08でスペイン・サラゴサのエブロ川の辺りに 作品・LA OREJA  PARLANTE/喋る耳を展示。クエンカ芸術大学開設より8年間教壇に立ち、その他、チリ、アメリカ、スエーデン、スペインなどの美術大学で講習や講演会を開く。2005年6月王ファン・カルロス大学、2006年1月ティセン・ボロネミサ美術館、2009年6月プラド美術館友の会財団、2015年7月サンタンデールUIMP大学などでも夏期講習などを開いている。1994年スペイン現代アート賞、2009年王立カサ・デ・モネダのトマス・フランシスコ・プリエト賞、2010年、MAV女流ビジュアルアーティスト賞、2013年、アルテ・イ・メセナスゴ財団賞、2014年、サン・フェルナンド芸術アカデミーよりホセ・ゴンザレス・デ・ラ・ペニャ、ボロン・デ・フォルナ賞などを受賞している。

カルロス ムニィス

(マドリッド 1962)

彼は芸術的、彫刻的なオブジェを制作し、時にはそれがポータブルな作品となります。映画・ビジュアルアートを学んだ後、マドリッドのジュエリースクールに在籍しました。彼のジェモロジーの知識とエジプトやイスラエルなどでの滞在経験などが作品に反映されている。 彼の作品、制作活動は旅や文学の引用を用い、繊細で広範囲なメッセージを感じさせてくれる。金属のアルキミア、内なる変化、侘び寂び、物から湧き出る味わい、物に映る光の反射、表面と空間の関係、そしてその物から受け取れる時の経過、などに興味を持つ。アーティストとして、現代彫刻の中で、普遍的存在である金属の表面に古代儀式の幻想的な精神が映し出されているような、詩的なサビの表情で伝統的文化における職人・彫金師の後継者として現代のメタルワークを表現しようとしている。彼の作品は日本、東京でも作品を発表している。彼の作品は多目的サイト Venecianastewenson: http://www.venecianastewenson.com  で見ることができる。彼の作品は制作する過程で自由にそして自然に表現されながら完成に向かう。

黒田オサム

(群馬1931)

 黒田氏はいくつかの仮面を持っている。一つは、彼が考えたホイト踊りのパフォーマーの仮面。もう一つは、シュールな作風な画家としての仮面。そして、最後の一つは、知識人でありながら無学無知な人を装う仮面である。この三つの仮面が彼のアイデンティティーでありそして、彼の魅力でもある。落ち着いた言葉付き、素晴らしい物語、そしてその美しい声。彼と話していると何か詩を聞いているような気分になる。ほかいびと (日本の古典で村々を訪ねて祝福する人のこと), まれびと(日本の古典で外から村にやってくる人), 地平線の向こうからやってくる人; まろうどまれびと同様、もう消えてしまった古来日本文化の宣教師のような人物だった。黒田氏は絵を描く筆しか持ったことのないような綺麗な手をしている。日常の彼の自然な動きの中に本物の美、彼の踊り手としての人生が見えてくる。現在、黒田氏は日本前衛パフォーマーとして国際的に知られている。世界30国以上でパフォーマンスを行い、彼のドキュメント映画も制作中である。                                                                                                                                            

根岸文子

(東京 1970)

 女子美術大学を最優秀賞を受賞して卒業、その後すぐマドリッドに移り、マドリッド・コンプルテンセ美術大学に在学する。翌年、スペイン・サンセバスチャンのアルテレクの夏季講習に参加、アルメリア県のモハカール市絵画修学コースに選ばれる。これを期に個展、グループ展などをスペイン、日本で開く。スペイン・国内版画コンクールなどで、新人賞、優秀賞なども受賞する。 彼女の作品は 幻想的な現実、夢の風景、悲痛、ミックスメディアの雲、謎めいた宝物のコラージュ 、などが主題である。彼女は国際アートフェアーや著名な展覧会などにも参加している;2009年VOCA展、上野の森美術館、東京。2002年ARCO スペイン国際アートフェアー。2010,2011,2012年KIAF、韓国国際アートフェアーなど。彼女はスペインと日本で作品を発表している。

クルス ノビジョ

(クエンカ 1936)

1950年クルス ノビジョはクエンカで絵を描き始める。1958年マドリッドに移る。彼は多くの企業マークのデザイナーである。 エル・ムンド新聞、政治団体PSOE、スペインの紙幣、ライジオ局・コペ 、スペイン郵便局、 エンデサ、パストル銀行、レプソル、オンセ財団、 Diario 16新聞、アンテナ3ラジオ、アンテナ3TV、エル・エコノミスタ、レンフェ、スペイン警察、財務省、ノチェ・ブランコなど。そしてサンティアゴ・アモンと共同デザインでマドリッド州のマークも手がける。 彼のデザイン事務所はスペイン政府 から賞も受賞している。また、数多くの映画ポスターも手がけた。彫刻家としては、サンパウロビエンナーレ、ニューヨーク国際フェアー、FIAC パリアートフェアー、バッセルアート、ARCO スペイン国際アートフェアーなどに、1985年からエベリン・ボテジャ画廊より参加している。2006年よりサンフェルナンド芸術アカデミーのメンバーとなる。  

大河原敦行

(埼玉 1939)

1958年当時一番重要な短歌の雑誌の編集をしていたアララギ派に入会する。 1991年からアララギ派のメンバーとして指名される。1997年アララギ派解散。現在、雑誌アララギの後継である短歌21世紀の会長を務める。                                          出版物:  “流速” (現代歌人協会賞候補),”夏山l, ”鱒の卵”鷺頚集―歌集” (埼玉県詩人会賞), トルトニアの花”, ”冬の日, ”春の影”, ”天水” (短歌新聞賞), ”雨下” 、”天の形”, ”時を越えて今”… 短歌は1400年前から伝わる日本伝統の詩の形式です。五つのフレーズ 5-7-5-7-7音 で形成されています。 Kimono-Joyaプロジェクトでは, 大河原淳行がプロジェクトの作品を見て短歌を作りました。                 短歌作品:

  • 目の向ふ  寒の色暖の色  ここに見る  言葉のいらぬ   世界思ふなり                                                    
  • 連想は  そのままここに  年輪が  あると思ひて  しばしをりたり                                                     
  • 色を呼ぶ  光を遠く  思ひしか  暁方の  時をただ待つ                                                                      
  • 暗黒ありて  その対極に  明かりありと  思考もここに  塊とし                                                             
  • 葉の裏に  映るは蝶の  影なりしか  大きはちすの  みどりと共に                                                         
  • ここに一つの  宇宙を見て  いたりけり  青き光と   その混濁も.                                                          
  • 歳かさねて  ここにこの  今抱くなり  根源をつつむ  体験のこと                                                         
  • 明よりも  暗に心は   まさるかと   生きてのことを   この色に知りき.                                         
  • 無は無なり  かかることにも   無頓着に  ただありきたり   きその無を知らず                                 
  • 日々はここに  自然と共なる  人々に  いく世変わるなし  月の光さへ                                                     
  • 一人ならずと  思ふこころが  色と光と  その沈黙を  ここに見るのみ                                                  

ディエゴ ケヒド

(マドリッド 1983)

独学。アーティスト。マドリッド・アウトノマ大学とギリシャ・レティムノ大学卒業。1998年より壁画のデザイン、制作をする。                                 ディエゴ・ケヒドの絵画は幼年から現在まで続く今を表現しているようである。作品では個展と現代との対話を表現している。絵画表現を超え、詩、劇、彫刻とビジュアルアートなどの広範囲にわたる芸術表現の限界と可能性に取り組み、美術史上の様式とその様式の持つアイデンティティーに疑問を投げかける。                                           創造性や知識を求め旅に出た大学時代。ヒューマニズム、文化、政治、社会の関わり合い、そして芸術の原点を探し求めた旅。ヨーロッパ、イベリア半島、リスボン、ベルリン、ローマ、パリなど、そんな旅の中の個人的経験を通し表現されている。2005年マルタ島留学、2007年から 2008年ギリシャ・クレタ島で1年過ごす。アテナ、デルフォ、サントリニ、ロダス,トルコなどを旅する。マドリッドのオポルト・カラバンチェル地区の作業所を工房としていた。2011年マドリッド・ラバピエス地区に工房を移動する。モロッコへの旅。サンパウロ、リオ デ ジャネイロに滞在。2015年、マドリッド・プエルタ デ アンヘル、現在の工房へ移動する。                            展覧会: 2022年 Lo Nimio. Espacio Pelayo 50画廊。Kimono Joya展 マドリッド・マタデロ。Espacio Mados画廊。マドリッド / 2021年 アーバン・アート? 街が舞台だ。 CEART、マドリッド / 2020年、 Maruja Mayo展示室、ラス ロサス、マドリッド/ 2015年 José Saramagoセンター, レガネス、マドリッド / 2019年、2012.年 貸しますプロジェクト。マドリッド/ 2011年 Magda Belloti画廊、マドリッド/ 2009年 Carmen de la Guerra画廊、マドリッド。 キコ リバスへのオマージュ, CRUCE画廊、マドリッド/ 2006年 ¨Q¨Neilson画廊、グラサレマ、カディス。カルボネラ、セビジャ。/ 1994年 AlmaZen de la Nave, マドリッド。                               その他: 2020年 ビデオ出版。14日・14人のアーティストCCSNY. AECID / 2019年 レオポルド マリア パネロを詠む。Conde-NashThink./ 2017年 フェリペ バラ デ レイの映画Nosotrosに出演。/ 2009年から2013年 抗論会 Cruce画廊。 マドリッド

マノロ ケヒド

(セビージャ 1946)

 1964年 マドリッドへ移り、絵を描き始める。彼の初期の作品は、スペインの1970年代のアートに代表され、マドリッド、ブアデス画廊を中心として活動していたアーティストグループの一員として、政治メッセージの強いものである。 ケヒドは特定の詩的表現やアートの社会における役割について考える必要性に注目している。 彼の初期の活動は 芸術グループであったEquipo 57の影響が明らかである、その後マドリッド大学の微分積分学センターでのアウトマティックアートのセミナーで制作される作品へと発展していく。 ケヒドのアート表現はその後、ポップアートとネオ表現主義になっていく。  特に、ロナルド・キタイ、ブレイクなどイギリスのポップアートの影響を強く受ける。   彼の作品は、楽しく親しみのある鮮やかな色に特徴があり、活発な筆遣いのある芸術である。ケヒドの作品は純抽象主義前の特徴である存在主義、蒙昧主義に対するリアクションが見受けられ、皮肉であり挑発的な態度が現れる。国内外の多くの展覧会に参加し、彼の作品は重要なコレクションに含まれている。2022年から2023年にスペイン・ソフィア王妃芸術センター・ベラスケス宮殿において大型の個展を開催した。

ギジェルモ ペレス ビジャルタ

(タリファ 1948)

 1970年代に画家として知られるようになる。出発地点より、作家曰く、つまらなくて、学者ぶった軽薄な存在となっってしまった20世紀の前衛アート全般の芸術様式 から離れた独自のスタイルを守っている。絵画の高い技術表現、物語性の高い豊かな絵画表現や作品内での建築物を使った構成などを用いて描かれた解放された巧妙なバランスの取れた調和された空間の中に、彼特有の人物やモチーフ(神話、自然、幾何学模様など)を登場させ彼特有の世界を生み出している。 作品の中で常に東洋と西洋の要素、キリスト教やディオニシオスのモチーフなどの組み合わせを思考している。また、彼の作品では宗教画がモチーフとして多く描かれている。現代スペインの芸術界で最も重要なアーティストの一人である。

サンティアゴ セラノ

(ビジャカニャ、トレド 1942)

 彼はスペイン抽象画界では不可欠な存在のアーティストである。サラマンカ大学で教壇に立つ。その他 1986年マドリッドのシルクロ・デ・ベージャスアルテス文化センター初の現代アートの講習を切に数多くの講習の師事をする。彼の作品は公・私の数多くのコレクション所属する:ソフィア王妃芸術センター、マドリッド州立現代美術館、フアン マーチ財団、スペイン銀行コレクション、アルヘンタリア・コレクション、ニメス現代美術館、丸亀平井美術館(日本)など。

パブロ シセット

1953年スペイン・ウエルバ・ヒブラレオンに生まれる。 1980年スペイン文化庁奨学生 。1985年米西連合文化教育委員会によるニューヨーク奨学生。

コレクション:                                                                                                      ソフィア王妃芸術センター(マドリッド), バスケス ディアス美術館(ネルバ/ウエルバ), アリカンテ県庁, ヘラルド ルエダ財団 (マドリッド), グラナダ市役所, ウエルバ県庁, スペイン銀行, 王フアン カルロス大学 (マドリッド), オロンテンセ現代アートセンター(ヒブラレオン/ウエルバ), グラナダ県庁, サバレタ美術館 (ケサダ/ハエン), インマクラダ地方銀行 (サラゴサ), 国立郵便博物館(マドリッド), ウエルバ市役所, アメリカ ヒスパノ ソサエティー (ニューヨーク), 財政学校 (マドリッド), ラ ヘネラル財団(グラナダ), ロス アンヘレス美術館(トゥレガノ/セゴビア), ザ ポール ケパー図書館, クイーンズ大学(ニューヨーク), Vychodoslovenska画廊 (コシセ/スロバキア), 現代アートコレクション (マドリッド), カイシャ テスティモニ コレクション(バルセロナ).

経歴:                                                                                                                                                            パブロ シセットは1980年代のアンダルシア地方を代表するアーティストである。恐らく1980年代とは、絵画を中心とした芸術会の最後のアーティスト世代でだったであろう。彼は絵画を中心として現在まで活躍し、その活動内容も出版、ティポグラフィー、グラフィックデザイン、画廊、展覧会の企画、音楽の歌詞、音楽のプロデゥーサーなどと拡張していった。彼の活動は地理的、そして世代的な影響力を及ぼしたと言えるであろう。地理的に見るとスペインのアンダルシア地方と首都マドリッドを往復し、この二つの土地を結んできた。彼の所在地はマドリッドであったが、アンダルシア地方を放棄することはなかった、特にグラナダの街、常にアンダルシア・グラナダに活動投資をしてきた。世代的に見ても彼の前の世代のアーティスト達との橋となった。ゴルディージョからゲレロ、さらにはその前の世代と今現在の新興アーティスト達を結びつける存在である。

ジョルディー テイシドル

(バレンシア 1941)

1959 年から1964 年バレンシア州サン カルロス美術大学で就学する。1966年バレンシア、マテウ展示室で初めての個展を開く。ホセ マリア ユトゥラルデと共にクエンカ抽象画美術館のキュレーターを務める。1966年と1967年の夏 クエンカで制作し、 “クエンカのグループ”と呼ばれる、グスタボ トルネル、ヘラルド ルエダ、フェルナンド ソベルなどの著名なアーティス達のグループと出会う事となった。ヌエバ ヘネラションと呼ばれるグループにも所属した。 この時期にフランス人美術評論家と画家によって構成されていたサポーツ・サーフェイスと言うグループとも出会う。1973年初めてニューヨークを旅する。マルク ロスコー、バルネット ニューマンやレインハートなどに興味を持つ。1975年スペイン国内でサポーツ・サーフェイスグループの活動を発表すしていた 雑誌トラマのグループと出会う。マドリッド・ブアデス画廊で10人の抽象画アーティスト展に参加する。1976年ベネチアビエンナーレでスペイン代表として : 前衛アートと社会の現実 1936-1976 に参加する。1979年 フアン マーチ財団の奨学生として1981年までニューヨークに滞在する。この時期、マルギット ローウエルのキュレートでNew Images from Spain展, ニューヨーク グッテンハイム美術館に参加する。1982年マドリッドに移る。1997年バレンシア近代美術センターで回顧展を開く。 16枚の大型の黒い作品を出展する。2000年マドリッド サン フェルナンド芸術アカデミーのメンバーに任命される。

クラウディオ シロティ

Claudio Zerotti

(モデナ イタリア 1952)

ローマの美術学校を卒業。ローマ広告学校(Enalc)、ISIA, (芸術産業学校) 美学、人間工学科を卒業。1970年代ローマでフェデリコ フェリーニの元で働く。ローマ風刺新聞“マルク アウレリオ” でアートディレクターを務める。画家ウンベルト カソティとコラボレーションをし、“アート・ブルート”に情熱を注ぐ。画家・広告デザイナーのエルコレ ブリニとコラボレーションを組み、映画ポスターのデザインをてがける。1975年ジョイアニアの最新の広告会社“ レジェンダ”のアートディレクターとしてブラシルに移る。そこで、数々の賞を受賞し、彼の才能が認められる。そして、この時期に最も前衛的なアーティスト達と出会う。: シロン フランコ、ロス、クレベル ゴウベア、ポテイロ、… など5年以上に渡ってアイデア、経験、展覧会などを共有する仲間である。ブラジルでは以前とは異なった、突発的で表現力に満ちた、彼独特のスタイルとなる絵画を描く。1980 年から1989年イタリアとブラジルで彼の絵画活動と広告会でのアートディレクターとしての活動を続ける。(リオ デ ジャネイロ、モデナ、ローマ)。1989年にバレンシアで一番大きな広告会社である (ディマルコ)の共同経営者、クリエイターディレクターとしてバレンシアを訪れる。 彼の元で国内外の署名なキャンペーンを行う。これら全てが彼の芸術活動として、最終的に絵画作品として継続され制作活動を続けている。

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