私と絹との出会い。
私が企画者の一人として、そしてアーティストの一人としても参加しているKIMONO-JOYAプロジェクトでした。そのプロジェクトは、日本とスペインのアーティスト達が、古い日本の黒い絹の羽織に作品を製作していくというものです。それ以来、絹に描くことに快感を覚えました。目が細かく、しなやかで光沢のある素晴らしい素材、その上で筆を動かすことにものすごい気持ちの良さを感じました。絵画は視覚芸術、完成した作品に重点がありますが、この作業で、書道的な、音楽的な、瞬間的な芸術を絹の上で体験できたような気がします。そして、日本の美に少し近づけたような気もしました。
私は、芸術というものは、共感、感動を起こさせる物凄い力だと思ってるのですが、それは、私たちの記憶と大きな結びつきがあると思います。そして、その記憶というのは、自分で体験したもの、見たり聞いたりして蓄積したもの、そして人類、民族が共有する共通の記憶があると思います。私が絹に見せられたのも、人類、民族的な記憶が働いたのだろうと思っています。東洋の宝としてシルクロードを経、世界中に伝わっていった絹。日本にも中国大陸から遠い昔に伝わりました。そして日本人に欠かせない重要な宝物となりました。小さい時、埼玉県の祖父母の家で遊んだ思い出の中に、桑畑がありました。今ではもう見る事がなくなりましたが、私の幼少の記憶にも絹文化の一欠片が存在している喜びを感じます。そんな複雑な感覚・感情を与えてくれるのが絹なんです。絹の存在のような、心の宝になるような作品を作るのが作家としての目的です。
作品の内容ですが、私の作品は抽象画です。抽象画としてそのままの姿で受け止めて欲しいと思っています。なので、作品の内容というよりは、私の最近の思考や、題名などの話をしようと思います。
近日、日本とスペインの交流プロジェクトの企画、さらには新型コロナウイルスの流行などで、国・国境というものを大変意識させられた時期だった気がします。そして、国・国境について知れば知るほど、世界というのは遠い昔から交流が盛んだったんだな~と驚きます。自国特有の文化だと思っていた事が、実は外からやってきた文化に由来している事が多々あります。
私もスペインに暮らすようになって28年目、日本の文化を客観的に見れるようになった気がします。そして、その自国文化に、驚き、感動し、共感し、20世紀の初頭の西洋の芸術家達が遠い異国・日本文化を知った興奮もこんな感じだったんでわないかと想像するようになりました。ロマン主義、印象派、象徴派、シュールレアリズム、バウハウスもっと古いところではルネッサンスの芸術家達が、東洋、原始、古代、異国芸術に驚き、感動し、影響され芸術と向き合いました。
Jardin secreto は日本語に訳すと秘密の花園です。特にOdilon Redonを想いながら製作した作品です。Odion Redonは華やかな花々を、美しい装飾画として描いていきました。そしてその花束や花園の中には言葉では説明できない幻想的な、そして遠い記憶の底に眠っているような不思議な世界を表現しています。そんな心境で描いた絵に、jardin secretoと名付けました。
行く川の流れの題名は方丈記から取りました。新コロナウイルス感染の世界的流行が始まり、ロックダウンの際に、もう一度よみ直した本です。何世紀も前の古典が、まさに昨日の話のように、身近で、生き生きとして、現代人と何も変わらない儚い人の感情が聞こえてくる名作でした。時を感じさせ無い芸術の力を感じさせてくれます。時の存在しない永遠と広がる世界のある一角を私は描こうとしているということに改めて気付かされます。
行く川の流れは絶えずして しかも本の水にあらず。よどみ浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて久しく止まることなし。
という、素晴らしい冒頭、文章の音の美しさに感動します。この川の流れのような永遠性を感じながら制作する作品にこの題名をつけました。
無題とつけられた作品も異次元、永遠性を持った世界、全く異なる色の異次元の世界が同時に無数に存在するような私のファンタジーです。
古典を鍵に、自分の奥底に沈んでいる、人類共通の重要な秘密を探し求めるということが私にとって絵を描くことだと思います。